筆者が「コミュナルリビング」をテーマとして取り上げた問題意識について説明する。
冒頭に述べた通り、人間は社会的動物として各種共同体に属し、社会関係を築き生活を営む。現在の日本社会において、個人が信頼する強固な共同体のひとつが「家族」である。「家族」は共同体のなかの重要な基礎単位として、養育や居住、生計の共同化、病気や介護ケアなどがそこで行われる。「家族」は現代においても生活を営む上での重要なシェルターのひとつである。
「家族」を共同体の最小単位としながらも、「個人」や「家族」のまわりには、これを支えるさまざまな形の「共同体モデル」がそれぞれの時代に応じて存在した。
前近代の農村社会では、集落単位での生産や相互扶助が行われる「村落共同体」が大きな役割を果たしていた。
近代社会となり産業化が進行し、都市部への人口移動・集中が進む中で「核家族化」が進行した。こうした中で従来の「村落共同体」に代わる役割の一部は「会社共同体」が担うようになった。「会社共同体」は、終身雇用制度、利益の社員還元、充実した福利厚生制度など、従業員重視の政策を採用することで社員の高い企業ロイヤリティを生み出し、会社と社員が一体となりつつ高度経済成長の日本を支えていった。企業家族運動会や社員旅行などが頻繁に行われることで、社員は企業との精神的一体感を深めていった。経営者側からも共同体としての企業の一体感を深めるアプローチがなされた。例えば、創業者稲森和夫氏が率いる京セラは企業理念として「大家族主義」を掲げていた。
しかし、1980年前後から「会社共同体」は、経済成長の鈍化に加え、経営効率を重視するグローバリズムの流れのなかで次第にその役割を終えることになる。
加えて、共同体の基礎単位である「家族共同体」自体もその内実が変化し、脆弱化さらには機能不全となるケースがしばしば見られるようになってきた。