19世紀後半から20世紀初頭にかけては、市民革命を契機として、基本的人権をはじめとして政治的自由と平等を獲得した市民たちが、より豊かな権利の獲得を求め各種の活動が行われた時代でもあった。
資本主義の進展とともに少数資本家と大多数の労働者の格差の拡大を是正しようとしたものが、前節に見たロバート・オウエンやフーリエの社会改良主義であった。オウエン、フーリエが目指したこれらの動きに続き、19世紀後半には、後のマルクス、エンゲルスによる共産主義活動にも繋がる無政府主義運動なども活発となり、これら思想を反映したコミュナルリビング(共同生活)が継続的に生まれていった。共産主義は、1917年のロシア革命を経て、1922年ロシア連邦の成立により共産主義体制が正式に確立されたが、それ以前の時期において、未成熟と言われたユートピア社会主義同様、いくつかのユートピア共産主義思想に基づいたコミュナルリビングが米国内においても誕生した。
また、一方で資本主義も精緻化が進む中で、株式会社方式や土地資産の共有などのシステムを活用してコミュナルリビングを設立・運営しようとする試みがこの時期、積極的に行われた。
例えば、社会主義思想を反映したコミュナルリビングとしては、社会主義思想に感化され、カリフォルニア州セコイアに集まった「カウェイ・コ・オペラティブ・コモンウェルス(KAWEAH CO=OPERATIVE COMMONWEALTH)」(1885-1892)や、マルクス派社会主義者ジュリアス・ウェイランドの発行する雑誌『The Comming Nation』に共感を示した人々が集った「ラスキン・コーペラティブ・アソシエイション( RUSKIN COOPERATIVE ASSOCIATION)」などがある。また、無政府主義者が教育を目的として立ち上げた「フェリー・コロニー(FERRER COLONY)」(1914-1946)、「ホーム・コロニー(HOME COLONY)」(1898-1909)などのコミュニティもあった。
「コロラド・コ-ポラティヴ・カンパニー(COLORADO COOPWEATIVE COMPANY)」(1894-1910)の本来の設立目的は、灌漑水路の建設にあった。また「コーペラティブ・ブラザーフッド(COOPERATIVE BROTHERHOOD)」(1898-1913)は、株式会社方式で、シアトルの北、キサップ郡で製材事業の運営を担うコミュナルリビングであり、このように見ていくと、社会改良主義型のタイプも19世紀末から20世紀になると相当多様性を帯びていることが理解できるだろう。
またこれは社会改良型の派生として誕生したユニークなタイプのコミュナルリビングが、フェミニスト・コミュニティである「ウーマンズ・コモンウェルス(WOMEN’S COMMONWEALTH)」(1860-1930)である。このコミュニティは、マーサ・マックワイター(Matha McWhiter)のリーダーシップの下、夫より独立した女性たちによる宗教コミュニティで、約50名の女性たちが卵販売や農業経営、ホテル経営などで生計を維持しようとしたコミュナルリビングであった。これはその後のフェミニズム活動の萌芽とも呼べるものであり、現在のコ・ハウジング型コミュナルリビングにも繋がる動きであるといえよう。