コミュナル・リビング(Communal Living)を考える

高齢化・人口減少社会における新しい暮らし方、共同体的な暮らし方(コミュナル・リビング)について、さまざまな視点から考察します

2020年10月

1-2.ユートピア(空想)型コミュナルリビング

現実に存在しない理想的社会に対する夢想、願望は常に人間の潜在的欲望として存在している。いにしえから数多くの理想的国家や社会が構想され、夢想され続けてきた。

プラトン『国家』、ブルタルクス『リュクルゴスの生涯』、トマン・カンパネラ『太陽の都』、ヴァレンティン・アンドレアエ『クリスティアノポリス』、フランシス・ベーコン『ニューアトランティス』、ジェラード・ウィンスタンリー『自由の法』など、数多くの書物において理想的な社会や国家が語られてきた。

  グレゴリー・クレイズは、『ユートピアの歴史』(2011)で、古今東西の神話体系から各種ユートピアに関する小説、SFで描かれた宇宙世界やディストピアまで、膨大なユートピアに関する言説を分析検討し、ユートピアの思索発展を、①神話的段階、②宗教的段階、③実証的段階の3段階として整理している[1]

 神話的段階に区分されているのは、主にギリシア、ローマ時代に描かれた理想社会である。そこでは、例えばヘシオドスが『仕事と日』の中で語った古代の神々の日常、ホメーリスが『オデュッセイア』の中で語った地中海のどこかにあるアイアイエー島などがユートピア神話世界として語られた。それらの時代設定はギリシア、ローマを遙か過去に遡った「古代」であった。

宗教的段階におけるユートピアの時代設定は「天国としての来世」、「人類誕生の地としてのエデン」など、別位相の世界が中心である。イエス・キリスト再臨の可能性に対する熱烈な願望が「千年王国思想」などを生み出していった。実証的段階は、宗教的段階における宗教的救済としての別位相世界に代わり、世俗的な形でもたらそうとしたものである。この段階においては「人は理想を描くというより、実現することに気を砕き、近代性の頂点を指向する」ようになったとクレイズは語る。

また同じく見田宗介(真木悠介)(1979)は、ユートピアを、①始原のユートピア、②終末のユートピア、③地上のユートピア、④天上のユートピアの4つのタイプに分類している。

ルイス・マンフォードはユートピアを、「逃避のユートピア」と「再建のユートピア」に分類し、「逃走のユートピア」を「完徹するには余りにも複雑化され、(…)「きびしい現実」から避難する疑似世界」として位置づけ、「再建のユートピア」を「幼稚な欲望と願望に色どられているけれども、(…)それらが実現される世界を考慮している」[2]ものと語っている。

彼らがそれぞれに語ったユートピアを大きく整理すると図表1のように説明することが出来るだろう。

図1

縦軸として世界の始まりから、現在、そして終末に至る時間軸を、横軸として現実、非実在の軸を設定した。そうすると、見田、クレイズの語った個々のユートピアはこのようにプロット出来るだろう。図の中の矢印の動きは、クレイズの語った段階的発展(神話的段階→宗教的段階→実証的段階)の動きを示したものである。

本論では、ユートピア型コミュナルリビングの個々の内容には言及はしないが、ここでは実証的段階(クレイズ)の代表的な作品として、トマス・モア(1516)の『ユートピア(utopia)』[1]の内容にのみ触れておいてみたい。ユートピアという語句はモアの発案によるものだが、ギリシア語のο (ou, 無い), τόπος (topos, 場所)を組み合わせた「どこにも無い場所」を意図したと言われている。

この物語は、ポルトガル生まれの資産家であったラファエル・ヒロスデイが、アメリゴ・ヴェスップッチと共に世界の隅々に航海した折に、彼から離れてしばらく滞在したユートピア島の物語をモア卿が聞き書きする形を取っている。モアがこの物語を執筆した動機としては、当時の英国政府の国家運営方針(例えば刑罰など)の批判を目的として執筆されたものではあると言われている。『ユートピア』の主な内容は以下のようなものである。

ユートピア島にある54の都市はほぼ同規模でかつ適度に離れており、それぞれが自立経済圏を成している。都市の中は都市経営を司る部門と農家に分かれ、農業技術の習得と熟練を目的に、一定の期間で役割交換がなされている。職業の種類は、農業を除くと、毛織り業、亜麻織業、石工業などで都市経済を維持するための必要最低限の職種である。労働は一日6時間、睡眠は8時間、食事以外の時間は有益な知識の習得が推奨されている。衣服は、男女ともにほぼ共通で、住宅は補修を続けることで長持ちする家に住んでいる。それぞれの家族で生産されたものは、市場の倉庫に運び込まれ、それぞれが必要とするだけ持ち帰ると私有財産制の放棄と共有制度が採用されている。労働者の中から一部の知識人が選抜抜擢され、外交使節、司祭、市長などが選ばれ都市運営が行われる。

 この物語の中で採用されている国家運営の特徴としては、「私有財産の放棄と共有制度」、「競争主義の排除」、「節度のある質素な生活」、「学問修得による共通の思想の獲得」などがあげられる。こうした特徴は、それ以前に語られた神話的段階や宗教的段階での社会においても少なからず語られていたものであったが、その一方で、この後の章において語られる実践的コミュナルリビングのいくつかにおいても少なからず散見することが出来る。そうした意味ににおいては、これらの要素は人々が考える理想的社会の共通因子として指摘することが出来るかもしれない。ユートピア型コミュナルリビングに関する長年の思索や構想は、この後に登場する実践的コミュナルリビングのシーズベッド(苗床)の役割を果たしたのである。


[1] Thomas More1556 Utopia (トマス・モア 平井正穂訳 ユートピア 岩波書店)


[1] Gregory Claeys (2011) Serching for utopia the history of an idea (グレゴリー・グレイス 孝之監訳 小畑拓也訳 ユートピアの歴史 東洋書林)

[2] Lewis Mumford1922) The story of utopias  Boni & Liveright,Inc.(ルイス・マンフォード 関裕三郎訳新版 ユートピアの系譜 新泉社)

第1章 コミュナルリビング(共同生活)の定義と歴史推移 1-1.コミュナルリビング(共同生活)とは

コミュナルリビング(共同生活)の歴史的系譜を辿る前に、この語句の定義と類型化を試みておきたい。コミュナルリビングとは、「血縁・婚姻などを起因とし、生活を共にする家族(血縁家族/婚姻家族)ではなく、所属や来歴の異なる人々が、特定の家屋内や場所に集まり、日常生活の全部もしくは一部を共同しながら生活するスタイル」のことを指す。

コミュナルリビングは、共同体の一種もしくは一部である。コミュナルリビングと共同体は一見同義にも見えるが、例えば大塚久雄『共同体の基礎理論』[1]1955)では、中世ヨーロッパにおけるゲルマン的共同体の崩壊を「共同体の崩壊」と捉える場合があるように、共同体はより広義の政治経済学的見地から使用される場合もある。ここで語るコミュニティ・リビングは、例えば、1960年代アメリカで新しい価値観や生き方を模索する為に若者たちが集まり自主運営したコミューンのように、より少人数で運営する共同生活体のイメージに近い。

コミュナルリビングは、現在自分が属するコミュニティや家族の生活から物理的にも精神的にも離れ、宗教的理念や政治理念、何らかの生活ポリシーを同じくする人々と共同生活を営むことで、自らが理想とする生活スタイルを築き上げようとする動きでもある。

自らが理想と考える社会という意味において、コミュナルリビングはユートピアにも類似している。ユートピアは、トマス・モアが描いた理想国家の名称であるが、その後、実在、非実在を問わず理想郷を示す一般名詞となった。資本主義の対抗勢力として生まれた社会主義や共産主義社会もユートピア社会として語られる場合もあるが、こうした未実現のユートピア的共同生活のあり方も、コミュナルリビングのひとつとして検討すべき対象範囲のひとつと言えるだろう。

コミュナルリビングは、夢想・構想のレベルに留まった非実在の「ユートピア(空想)型コミュナルリビング」と、実際に共同生活が行われた実在の「実践的コミュナルリビング」に分けることが出来る。本論で取り上げるのは、主に後者の「実践的コミュナルリビング」であるが、「ユートピア型コミュナルリビング」がどのように語られていたかについても多少触れておきたい。



[1] 大塚久雄(1955)共同体の基礎理論 岩波書店

序章 0-5. コミュナルリビング(共同生活)への着目

 いわゆる血縁、婚姻などの繋がりにより親密圏を形成する家族や親族、居住の物理的近隣性による村落、集落ではなく、「特定の理由に基づき集った人々がともに暮らすあり方」をコミュニナル・リビング(共同生活)と捉え、その可能性について考えてみる。

本章の最初に述べたゲマインシャフトの多くは、家族や村落、会社など、「人間の本来備わる本質意志によって結合する有機的な共同社会」と語られるものが中心である。さらにテンニースは、ゲマインシャフトを、血のゲマインシャフト(家族や民族)、場所のゲマインシャフト(村落や共同体)、精神のゲマインシャフト(中世都市や教会)と分類した。

歴史を遡ってみると、テンニースの語ったそれぞれのゲマインシャフトに収まらないさまざまな共同生活のありようが存在した。これらの多くは、共同体に属する人々が自らの意志を持ち、これらゲマインシャフトから離脱し、新たな共同体に移ることを希望し、生活を共にしたものであった。

このようなコミュナル・リビング(共同生活)の視点にもとづき、その歴史的系譜を辿ることで、その存在が、家族・地域=ゲマインシャフト、自治体=ゲゼルシャフトの機能がともに低下した現在、第3の機能として、自助=共助=公助の新しい可能性として考えてみたい。そうする中で、社会的に必要とされ、なおかつ注目されている地域における「ゆるやかなつながり」や「相互扶助」「インクルージョン」の可能性を考えてみたい。

序章 0-4.社会保障制度の機能低下(ゲゼルシャフトの揺らぎ)

こうした動きは、テンニースの語ったゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの動き、共同体社会から市民社会へ移行する動きと重なると言える。産業構造が変化し、高度情報化が進行する中で、我々の周辺社会にあるゲマインシャフト的なものは、徐々にゲゼルシャフト的なものに置き換わって行くのかもしれない。そして、従来、家族や村落(地域)共同体が担っていた役割は、地方自治体や国家が社会制度として代替的役割を果たしていくようになっていったのである。


 しかしその後、公的介護保険法の施行から20年あまりが経過し、高齢化が一層進展する中で、一旦は社会制度化された介護システムの将来像に再び、危険信号が点り始めている。理由のひとつに挙げられるのは、社会保障費の急激な増大である。高齢者人口が増大する一方で、年金財政、保険財政を支える現役世代の人員は減り続けている。医療保険、介護保険のサステナブルな継続に信号が点るのは時間の問題である。実際、すでに地域包括ケアシステムという名の元に、従来、要支援介護者を対象として行われていた日常生活支援事業の一部を、総合事業という名の下に、地域自治内における互助・共助の仕組みに回帰させようという動きも見られている。これは、いわばゲゼルシャフトからゲマインシャフトへの先祖帰りのようにも見える。しかし、社会構造そのものがすでに大きく変節している中で、そうした地域の互助に頼ろうとするシステムの回復、再構築は果たして可能なのだろうか。こうして再び、頼りたいと考えられているゲマインシャフトの回復に光明を見出すことは出来るだろうか?

序章 0-3.共同体(ゲマインシャフト)の揺らぎ

血縁や婚姻を基礎とする家族を共同体として捉えようとすることについての限界は、既に多くの識者の指摘するところであるが、こうした動きは日本が成熟社会を迎えた1980年代からさまざまな形で表出してきた。1990年代における家族社会学の中心主題は、家族の再定義問題が中心であった。[1]


 この時代に家族再定義の必要性に迫られたのは、従来考えられていた「居住および生計を共に営む人たちの相互ケア」という家族概念が、実際の家族のありようと齟齬を来す局面がしばしば見られるようになってきたからである。そのひとつが、家族を構成する個々人の孤立や、共に暮らしつつも相互コミュニケーションが不全となる「個族化」「孤族化」の動きである。こうした動きを上野(2008)は、家族の客観的な定義は、ほぼ崩壊しているとして、むしろ「ひとびとは家族を何と考えるか」というファミリー・アイデンティティ研究の重要性を指摘し、家族の臨界点を明らかにしようとした。[2]


 森田芳光監督による映画『家族ゲーム』(1983)で話題となった、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」さながらに、家族が横一列に並び食事をとるシーンは、まさにこの時代に進んだ家族相互の孤立、コミュニケーションの不全を象徴的に表したものであろう。


 家族共同体のゆらぎのもうひとつの理由は、「3世代」から「核家族」、さらには「単身世帯」という世帯構成の変化にある。その結果、従来「家族共同体」がその多くを担っていた「居住や生計、ケア(養育・病気・介護)という役割の相互代替機能」が低下してしまったのである。


かつて、親の介護の役割を主に担っていたのは、同居する子供夫婦(とりわけ妻)の役割であった。しかし核家族化が進行し、子供たちのみに親の介護を担わせることが事実上困難となった。


こうした動きを受け2000年には公的介護保険法が施行され、介護は共同体内部で解決するべきものではなくなった。公的保険制度の導入により、介護は制度化し、共同体から外部化され、社会化されていった。従来、共同体内(ゲマインシャフト)で処理されていた介護は、社会制度(ゲゼルシャフト)として処理すべき課題として転化されたのである。そして介護は、身内のみならず、介護保険事業者がその役割を担うようになった。またこうした家族介護の問題に留まらず、この時期児童養護や障がい者福祉に関わる各種支援制度なども整えられていったのも、家族というゲマインシャフト機能が低下した結果と捉えることもできるだろう。



[1] 例えば、久保田裕之(2012)「世帯概念の再編非家族世帯と『家計の共同』をめぐって」『年報人間科学』33:27-42.など

[2] 上野千鶴子「家族の臨界 −ケアの分配公正をめぐって−」2008,社会学研究,20(1):28-37

ギャラリー
  • 1-3.実践型コミュナルリビングの歴史的経緯とその概要
  • 1-2.ユートピア(空想)型コミュナルリビング