心境同人は、昭和15年にその活動を開始し、その後90年を経た現在も社会福祉法人心境荘苑として活動を行っている組織である。創始者は尾崎増太郎。
心境同人の発足経緯はいささかユニークである。元々ここは特定の理念や信仰に基づいて設立されたものではなく、「村八分」という今では耳にすることのない村落共同体での出来事がきっかけとして生まれたものである。心境同人が生まれた所は奈良県宇陀という土地柄、地元住民の多くは天理教信者が殆どであり、尾崎増太郎自身も熱心な信者であったが、自分の娘が難病となったことをきっかけに、信仰に疑義を抱くようになる。その結果、同じく疑義を唱えた数人の仲間とともに彼は村八分の憂き目にあう。それをきっかけで始まったのが、仲間達との共同体生活であった。農業生活を維持するために共同で籾摺機、脱穀機を購入し、炭焼きも共同作業化し、炊事、食事、風呂なども共同化、さらには家畜も共同管理となった。戦後は、農業に加えて畳床製造を共同事業の柱に据えることで生活が安定した。
1967年からは、奈良県知事からの依頼もあり、新たに知的障害者入所更生施設を開所。知的障害者の就労支援施設としての性格を強めていき、積極的に障がい者就労を採用し、共同生活雇用の道を深めていった、現在は名称を心境荘苑と変え、障がい者支援施設、グループホーム、就労支援センター、相談支援センター、地域密着型特別養護老人ホームなどの障がい者に関する一大支援センターとなっている。[1]