コミュナル・リビング(Communal Living)を考える

高齢化・人口減少社会における新しい暮らし方、共同体的な暮らし方(コミュナル・リビング)について、さまざまな視点から考察します

3-2-3.コレクティブハウス「かんかん森」

 コレクティブハウス「かんかん森」は2003年に竣工した日本初のコハウジング型コミュナルリビングである。場所は東京都荒川区。JR山手線・京浜東北線「西日暮里駅」から徒歩10分前後の住宅地の一角にある。

最初のコハウジング型コミュナルリビングは1970年にデンマークで生まれたと第3章では紹介したが、ほぼ同時期にスウェーデンのイェテポリにも公共のコレクティブハウスが生まれている。呼称は異なるものの共同生活のコンセプト、実体的内容はほぼ同じである。こうしたスウェーデンでの動きを90年代に女性建築家のグループが導入を検討し始めた。こうした動きに有料老人ホームを経営する株式会社生活科学運営(現長谷工シニアホールディングス)が共鳴し、同社が荒川区に老人ホームを建設する際、その23階にコレクティブハウスを組み込むことを提案し、実現したのが「かんかん森」である。

 一般的に欧米のコハウジングは、住民による共同所有、共同運営が基本原則であるが、「かんかん森」は賃貸型のコハウジングである。「かんかん森」以降、日本にもいくつかのコハウジング型コミュナルリビングが誕生し、また次に紹介するシニア向けコハウジング型コミュナルリビング「COCO湘南台」も同様の賃貸型である。これは日本特有の住宅事情(家屋の価格の高さ)などにも因るのでもあろうが、いまひとつ日本でコハウジング型コミュナルリビングが広がらない理由のひとつとしてはこうした所有の問題も関係しているかもしれない。

 「かんかん森」の概要を簡単に紹介する。住宅戸数は全28戸。部屋タイプは1ルーム(2540)から2DKタイプ(40㎡)まである。コモンスペースとして用意されているのは、リビングダイニングキッチン、ランドリールーム、ゲストルーム、共用洗面室などである。

 居住者同士の運営方針については、居住者組合による年1回の総会と毎月の定例会を通じて協議がなされる。運営を担うための役割としてそれぞれに係とグループが割り当てられる。例えばそれは、ガーデニング、ハウスメンテナンス、コモンミール、対外コミュニケーションなどの役割である。

 運営組織としては、居住者組合「森の風」と居住者有志による株式会社コレクティブハウスが日常の運営活動や入居者の募集活動などを司り、NPOコレクティブハウジング社が活動サポートを行っている。

 NPOコレクティブハウジング社は、当初かんかん森を企画した女性建築家グループを母体として設立されたNPOで、日本におけるコレクティブハウジングな暮らしの啓蒙、普及に努めている。現在、コレクティブハウジング社が関与したコハウジングは、「かんかん森」を始めとして、「コレクティブハウス巣鴨(11戸・2007年)」「コレクティブハウス聖蹟(20戸・2009年)」「コレクティブハウス元総社コモンズ(12戸・2007年)」「コレクティブハウス横浜(10戸・2007年)」「コレクティブハウス大泉学園(13戸・2010年)」「コレクティブハウス本町田(24戸・2020年)」などが開設されている。従来タイプの純粋なコレクティブハウスに加えて、近年では既存施設のコンバージョンも増えてきているようである。例えば、コレクティブハウス横浜はグループリビングをコレクティブハウスに転換したもので、コレクティブハウス元総社コモンズは群馬県住宅供給公社が運営するサ高住、デイサービスとの併設となっている。柔軟なあり方が模索されつつあると言えるかも知れない。

3-2-2.木の花ファミリー

 木の花ファミリーは静岡県富士宮市にあるオルタナティブな生活を志向するコミュニティリビングである。[1]木の花ファミリーのスタートは1994年。愛知県小牧市で内装業を営んでいた“じいじ”が独特な宗教観を持つに至り、実践の場として20名の仲間とともに静岡県富士宮市に移住し、「木の花農園」で共同生活を開始したのが始まりである。思想的にはニューエイジズムに近しいもので、人工世界・自然世界(現象世界)の先にある潜象世界との天然循環を進めることによって人工世界で失われる生命エネルギーを取り戻すことができるという基本思想である。

 具体的な活動内容は、自家農園での農業活動及び生産物の販売がベースとなっている。現在110品目250種類を超える野菜や穀物、米や自然卵、味噌、しょうゆを無農薬農法で生産し、食料はほぼ自給体制であると同時に、ネットなどを通じ農産物の直売も行っている。

当初20名でスタートした活動は、次第に賛同者も増えてくることで、活動領域の幅を広げ、農業以外では、現在、体験型宿泊施設の提供、精神疾患、ひきこもりなどを対象とした自然療法プログラムの提供、飲食カフェやマッサージの提供、教育プログラム「一ヶ月の真学校」の提供などを行っている。

  活動領域も幅の広がりに呼応する形で、2007年に名称を「木の花ファミリー」と改名し、現在はこの地で約100名近いメンバーが共同生活を営んでいる。



[1] 木の花ファミリーについては、主に木の花ファミリーHP https://konohana-family.org/による

 

3-2-1.共働学舎

共働学舎は、2020年現在、信州や北海道など全国5カ所に拠点を持つコミュナルリビングである。共同生活を営むのは主に自閉症、ひきこもり、障害者などの心や身体に不自由を抱えた人々であるが、同施設は、福祉施設認定はあえて受けず独立した非特定営利活動法人として、各種生産活動を通じて自活の道を探っている。

共働学舎の創立は1974年。創設者は宮嶋眞一郎。彼は、自由学園(東京)で長く教鞭を執っていたが徐々に視力を失う病となり50歳を機に教職員を退職。郷里の長野に戻り共働学舎を創設した。彼が勤めていた自由学園は1921年に設立されたプロテスタント系キリスト教精神に基づいたユニークな教育を行う学校として有名である。机上の学びだけでなく、生活の全てが教育に繋がる”生活即教育の精神が基本の教育方針であり、授業のひとつとして、学生たちの手で野菜を栽培し、家畜を飼い、得られた作物を調理し、共に食卓を囲み、最後は片付けるといった生産過程まで入り込んだ教育プログラムなどを実践している。宮嶋が共働学舎で採用したのも同様の生活様式であった。

リーフレット『共働学舎の構想』(共働学舎発行)において、眞一郎は学舎を創設した理由について以下のように語っている。[1]

彼が最初に挙げているのが、競争社会への疑念である。競争が進むことで、勝者が弱者を差別し、勝てぬ人に対する不公平感を生み出してしまう。そうした競争的価値観ではなく、本来人間ひとりひとりに与えられている固有の価値を重視し、皆が協力し合うことで個人ではなしえない価値のある社会(協力社会)をつくるべきであると彼は説く。

勤労生活は重視すべきだが、ただやみくもに生産性を重視するのではなく、「自らの力で作り出すことの喜びを味わうことが、生活の大切な要素」であり、「その苦労が人間性を高く深く成長させる」と彼は語る。

そして、福祉という仕事が先を急ぐ物質文明の落ち穂拾いの役割に終わっている限り、科学技術の発達に比例する心身の障害の増加を止めることは出来」ないとし、「障がい者を安全管理することが福祉であるとは思えません」と現行の福祉制度を批判する。

そして、「競争社会よりも愛による協力社会の方が、個人としても社会としても豊かになり得ることを信じます」「共働学舎はこれらの願いと祈りをもって始められた、独立自活を目指す教育社会、福祉集団」と宣言している。

この思想の底流に流れているのは、言うまでもなく自由学園と同様のキリスト教精神である。

共働学舎の名称も、ローマ人への手紙8章28節、すなわち「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちといて、万事益となるようにして下さることを、私たちは知っている。」から採られてい

キリスト教社会においては、平等と博愛の精神に基づき、障がい者や高齢者などが差別を受けることなく、ともに一般社会の中でそれぞれの出来ることに応じる働き方を選びつつ暮らせる社会を目指すという考え方がある。その代表例がドイツ連邦ノルトライン=ヴェストファー練レン州ビーレフェルト近郊にあるてんかん、障がい者、高齢者、社会活動が困難な若者、ホームレスの人々が生活するベテル財団である。ベテルは1867年にてんかんの子供や青年のための施設として設立され、以来150年余にわたり、多様な人々が共に生活し、学び、働ける環境の形成に努力している。現在では、約2万人の従業員がこうした人々を助け、サポートしている。共働学舎は規模としては圧倒的にベテルが勝るが、理念としては同様の思想を抱きつつ活動していると言ってもいいだろう。

共働学舎は現在、長野県(2カ所)、北海道(2カ所)、東京の計5カ所で実践的活動を行っている。(表5参照)基本的には米、野菜、卵、豚肉、クッキー、菓子などの製造販売を行い、自労自活の道を追求している。北海道では、チーズの製造、販売なども行っている。但し、実際は全面的な自活はなかなか困難であることから、会員制度の導入により組織を精神面、資金面からサポートするという仕組みを導入している。

 

 



[1] NPO法人共働学舎(2015)共働学舎の構想 第14

ギャラリー
  • 1-3.実践型コミュナルリビングの歴史的経緯とその概要
  • 1-2.ユートピア(空想)型コミュナルリビング