コミュナルリビング(共同生活)の歴史的系譜を辿る前に、この語句の定義と類型化を試みておきたい。コミュナルリビングとは、「血縁・婚姻などを起因とし、生活を共にする家族(血縁家族/婚姻家族)ではなく、所属や来歴の異なる人々が、特定の家屋内や場所に集まり、日常生活の全部もしくは一部を共同しながら生活するスタイル」のことを指す。
コミュナルリビングは、共同体の一種もしくは一部である。コミュナルリビングと共同体は一見同義にも見えるが、例えば大塚久雄『共同体の基礎理論』[1](1955)では、中世ヨーロッパにおけるゲルマン的共同体の崩壊を「共同体の崩壊」と捉える場合があるように、共同体はより広義の政治経済学的見地から使用される場合もある。ここで語るコミュニティ・リビングは、例えば、1960年代アメリカで新しい価値観や生き方を模索する為に若者たちが集まり自主運営したコミューンのように、より少人数で運営する共同生活体のイメージに近い。
コミュナルリビングは、現在自分が属するコミュニティや家族の生活から物理的にも精神的にも離れ、宗教的理念や政治理念、何らかの生活ポリシーを同じくする人々と共同生活を営むことで、自らが理想とする生活スタイルを築き上げようとする動きでもある。
自らが理想と考える社会という意味において、コミュナルリビングはユートピアにも類似している。ユートピアは、トマス・モアが描いた理想国家の名称であるが、その後、実在、非実在を問わず理想郷を示す一般名詞となった。資本主義の対抗勢力として生まれた社会主義や共産主義社会もユートピア社会として語られる場合もあるが、こうした未実現のユートピア的共同生活のあり方も、コミュナルリビングのひとつとして検討すべき対象範囲のひとつと言えるだろう。
コミュナルリビングは、夢想・構想のレベルに留まった非実在の「ユートピア(空想)型コミュナルリビング」と、実際に共同生活が行われた実在の「実践的コミュナルリビング」に分けることが出来る。本論で取り上げるのは、主に後者の「実践的コミュナルリビング」であるが、「ユートピア型コミュナルリビング」がどのように語られていたかについても多少触れておきたい。