ロバート・オウエン(1771-1858)が、1825年に米国インディアナ州に設立した共同体「ニュー・ハーモニー」は、信仰由縁ではなく、理想的な労働環境や生活環境の実現を目的として設立された世界初の共同体であった。しかし、当初の壮大な構想とは裏腹に種々の問題が生じることにより、「ニュー・ハーモニー」は1828年には早々とその終幕を向かえる。

しかし、わずか3年とは言え、実際に人々が集う生活の共同が一時的に実現したのである。ロバート・オウエンが「ニュー・ハーモニー」で目指した協同体はどのようなものであったか、その姿を辿ってみたい。


ロバート・オウエンは、少年期より実業の世界で鍛錬を重ね、若い頃から商人として頭角を現していった。オウエンが活躍する当時のイギリスは、ジェームス・ワットによる蒸気機関を契機とする第一次産業革命がまさに進行する時代。オウエンは、その産業革命の中心産業であった繊維産業において、その能力を発揮した。当初は卸・小売商人として、その後は紡績工場支配人、および経営者として彼はは大いに手腕を発揮し、事業的成功を収めた。

一方、紡績工場の経営を通じ、生産性向上を目的にオウエンは各種の経営改善アイデアを構想、積極的に事業に取り入れていった。それらの改革アイデアは、とりわけ1800年から28年間に渡り彼が統治した1700名の従業員をかかえるニュー・ラナアック工場で遺憾なく発揮された。従業員の就労環境改善、地位向上に係わる一連のアイデア、例えば、工場内での福利厚生施設の設置、厨房と食堂の協同化、労働者に対する新教育、世界最初の幼稚園に代表される福祉政策などの構想が実践された。


1815年に出版された『工場制度の影響にかんする諸考察』で、オウエンは初めて共同社会の創設に関する構想を発表した。同書において、オウエンは急速に進む工業化の進展が国民の性格形成に悪い影響を及ぼすようになっていると主張。「機械使用による人間労働の意気低下」の打開策として、産業資本家社会ではなく、共同社会による「一致と協同の村」を創設すべしと主張した。ここで彼が主張したのは、産業資本家は私有財産を捨て、工場運営から得られる利益を配分すべきという、その後の共産主義にも繋がる提案であった。

この思想が、後にオウエンが、「ユートピア社会主義者」と呼ばれ、また同時に「協同組合の父」と呼ばれる流れに繋がっていくのである。