以上、大正から現在に至る日本のコミュナルリビングの歴史を辿ってみた。「新しき村」「樺太共同農園」以外のコミュナルリビングの概要については、主に水津彦雄『日本のユートピア』(1971)に依ったが、同書ではこれ以外にも「わらび座(秋田)」「奥部落(沖縄)」「紫陽花邑(奈良)」などのコミュナルリビングが紹介されていた。「わらび座」は、秋田芸術村をベースに活動を続ける劇団として現在も活動を行っているものの、書籍に紹介されていた共同体的性格は現在では失われているようである。奥部落は沖縄本島の北、1905年に設立された国頭村に位置した相互扶助を目的とする最も古い共同売店であり、奥部落の存続は不明であるが同様の形の共同売店は現在も存続している。しかし、本論のテーマである(共同体的)生活は当初から行われていない。

「紫陽花邑」は、1945年に創始者矢追日聖が、天啓を得た独自の宗教観に基づき創設した信仰団体大倭教が、信者とともに始めたコミュナルリビングであった。当初は、農業や軍手製造といった家内工業で生計を維持していたが、その後、地区の社会福祉協議会からの働きかけもあり救護施設の運営を開始。その後は福祉事業を拡大し、1956年に社会福祉法人としての認可も獲得。現在は、大倭教を中心に、各種収益事業(建築設計「大倭殖産株式会社」、印刷事業「大倭印刷株式会社」)と社会福祉事業(救護施設 「須加宮寮」、介護老人福祉施設「特別養護老人ホーム長曽根寮」、障害者支援施設「菅原園」、特定施設入居者生活介護ケアハウス「八重垣園」、特定施設入居者生活介護「ケアハウス 茂毛蕗園」)を現在では展開している。当初は宗教活動を母体とするコミュニティリビングから次第に社会福祉事業に転換するパターンは、先に紹介した心境同人(心境荘苑)と同様である。

 このように見てくると、日本のコミュナルリビングは、大きく3つのタイプに分けて捉えることができる。

 ひとつは、「新しき村」「樺太共生農園」といった欧米の社会改良主義思想、トルストイ運動に影響を受けて開始されたコミュナルリビングであるが、これらは少数派に留まった。

そしてもうひとつは、一燈園、心境同人、ヤマギシ会、紫陽花邑などに共通する動きであるが、新たに宗教を開祖し、信仰を維持していくために共同生活(コミュナルリビング)の道を選択しするというケースであり、新宗教のひとつの動きとして捉えることが可能かもしれない。これら組織に共通する基本姿勢として掲げられていたのが「無所有と共有制」であり、それら実践のために「共同生活」という生活方針が採用された。いずれの施設も寄付や援助に頼らない農業や軽工業による自活生活が基本方針であったことも、共同生活が選択された大きな理由のひとつであったろう。

また、1970年以降に新たに生まれた木の花ファミリーは新宗教というよりは、よりスピリチュアル的な要素を兼ね備えたコミュナルリビングとして捉えることが出来るだろう。三角エコビレッジSAIHATEはスピリチュアル的な要素が見られるものの、おそらく宗教的バックボーンはさほど無く、コ・ハウジングとスピリチュアルの中間的存在と言えるかも知れない。

 そして3つめは、かんかん森やCOCO湘南台に見られるコ・ハウジング型タイプである。かんかん森は、スウェーデンのコハウジングをモデルとして誕生したものであるが、COCO湘南台については、高齢化社会における高齢者の住まいのあり方という日本特有の社会課題意識から生まれたコ・ハウジング・タイプと言えるかもしれない。

加えて、日本のコミュナルリビングに共通する特徴として掲げておきたいのは、社会福祉事業への接近である。心境同人(心境心苑)、紫陽花邑は、ともに宗教法人としての性格を現在も備えつつ、同時に社会福祉法人組織として障がい者、高齢者などの生活支援、就労支援を行う活動を行っている。日本において社会福祉事業が本格的に整備されるようになったのは社会福祉法の制定(昭和26年)以降のことであるが、これら施設はそうした社会福祉事業拡充のための受け皿機能を果たしたと言えるかもしれない。また、ヤマギシ会については、公的社会福祉事業と直接の関連はないものの、ヤマギシ学園など子供教育の実践を通じて、引きこもり児童、問題児童の引き受けを行っており、こうした社会福祉事業とコミュナル・リビングの接近に見られる包摂的性格は、欧米における(個人の)相互に自立を前提とする平等や共同性を重視したコミュナル・リビングとは、多少異なる性格を備えていると言えるかもしれない。こうした福祉活動への接近は1970年以降から現在に至る日本のコミュナルリビングにおいても「共働学舎」などにおいても強く認めることが出来る。

 以上のような形で日本におけるコミュナルリビングの系譜を辿ってみた。このように見てくると欧米におけるコミュナルリビングのタイプとはいささか異なる「ケア型コミュナルリビング」とでも言ってもいいタイプが存在することに気がつく。

 おそらくこのケア型コミュナルリビングのタイプは、欧米では古くから宗教による福祉活動のひとつとして広く行われているものであろう。共働学舎の項で紹介したドイツのベテルなどがその典型的事例である。しかし日本では、そうした活動は寺社や教会の一部では認められるものの、それらの多くは(おそらく)心境同人の動きと同様、社会福祉法人化され公的福祉事業の枠組みに組み込まれていったのではないだろうか。

 しかし、こうした公的社会福祉事業の流れとは別に、共働学舎やCOCO湘南台など障がい者や高齢者に関するコミュナルリビングのタイプが生まれているということは何を意味するだろうか。ここでは、それを既存の福祉事業の枠に囚われない、より自律的な福祉生活のあり方を求めようとする人々の動きであると捉えてみたい。こうした動きが今後日本の中で、継続的に続くか、もしくは拡がる可能性があるのかについては不明であるが、高齢化が進む日本社会の中におけるひとつの可能性であるとも考えられる。