社会改良主義型コミュナルリビングの別タイプツとして、米国ではなく、イスラエルで独自に発達したコミュナルリビングがキブツである。キブツは、ヘブライ語で「集団」を意味する。

イスラエルでキブツが誕生したのは20世紀初頭のことである。キブツが生まれた理由については、アミア・リブリッヒ(1993)『キブツ その素顔』[1]によると、①19世紀後半のロシア、東欧におけるユダヤ人迫害の動き、シオニズムと当時のヨーロッパに台頭したマルクス主義、ナロードニキ(ロシアに生まれた農本主義的な急進思想)、トルストイの描いた理想農村主義の影響、当時のパレスチナにおけるユダヤ人のおかれていた困難な状況を背景として、シオニズム(国家再建)を進める政治運動の中心組織として、1897年にシオニスト機構が発足。開拓のためにパレスチナ事務局が設置され、1909年、シオニスト機構の下部組織ユダヤ民族基金が購入した土地で、優秀な青年労働者7人を1年契約で自主的に開拓させるという実験が試みられたという。

この成功を機に、新たな労働者を募集し、入植した後の農業管理を彼らに委譲し、定住の権利を与えるという大胆な条件も加えられるようになった。これが最初のキブツの原型となった。

どのキブツも果樹園、小麦畑、綿畑などの広大な農場に囲まれており、その中に生活区域が一カ所にまとまった形になっている。生活区域の中心には大きな食堂があり、その近くに事務所、診療所、郵便局、売店、図書館、娯楽談話室、洗濯場、衣料庫などの共同施設、さらにメンバーの個人住宅、子供達の家、学校などが散らばっている。また、立派な劇場、美術館、体育館をもったキブツもある。

現在、約300弱のキブツがイスラエル国内に散在しており、ひとつのキブツの大きさは人口50人から2千人近い規模までさまざまで平均500700人である。キブツ総人口は約13万人(1990年現在)であり、イスラエル人口の約3%にあたる。



[1] Amia Leiblich( 1981) Kibbutz makom Pantheon Books (アミア・リブリッヒ キブツ その素顔 ミルトス)