「社会改良主義型コミュナルリビング」は、ロバート・オウエンとフーリエの思想を原点とするコミュナルリビングであり、時期としてはすべて19世紀内に生まれ、同世紀内にほぼその活動を終了させている。その意味では極めて短期間のブームであったとも言える。

社会改良主義型コミュナルリビングは、宗教的信念に基づいた共同生活体ではなくイデオロギーに基づいた共同生活体であったと言える。資本主義の発達にともなう貧富の差の解消を主目的とし、共同生活を通じ、皆が平等に自立生活できることが目標とされた。共同生産、共同消費といった生活スタイル、節度のある質素な生活スタイルなどの指向については宗教型コミュナルリビングと同一であり、近代化が進みつつある中でも質素は一種の美徳として保持された。全員を集団としてまとめる精神的な軸は、教育を通じて養うことが可能と考えられ、コミュニティー内の能力格差は、利他心に基づき平等化の修正によって図ろうとした。

宗教型コミュニナル・リビングが現在もなおいくつか存続しているものがあるのに対し、社会改良主義型は長くても20年程度で、殆どわずか数年で活動寿命を終えた。短命であった最も大きな理由は経済問題であった。収入の糧は自足自給農業が目指されたが、知識があり思想的共感を覚え集まった人々ではあったが、農業経験はほぼ素人の人たちも多く、理想に対して内実は空回りであり、実利のある農業生産は適わなかった。また農業に加えて、織物業、印刷業などの軽工業での収入向上も目指されたが、自立採算を維持する程度には至らなかった。

エンゲルスからは、オウエン、フーリエが目指したコミュナルリビングは「ユートピア型社会主義」であると揶揄された。すなわち、資本主義発展の未成熟さに対応し、彼らの理論も未成熟である。そのため新しい社会の成立を歴史発展の必然的結果でなしに、頭のなかで作り上げる必要があったゆえに、彼らの未来社会の構想ははじめから幻想(ユートピア)になる運命にあったと指摘されたのである。[1]しかし、オウエンが理想とした共同生活の理念はその後、コミュナルリビングとは別に、19世紀半ばのロッチデールを起源とした生産協同組合や生協運動として現在まで引き継がれていった。



[1] Friedrich Engels (1883) Die entwicklung des sozialismus von der utopia zur wissenschaft(エンゲルス 大内兵衛訳 空想より科学へ 岩波書店)