こうした動きは、テンニースの語ったゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの動き、共同体社会から市民社会へ移行する動きと重なると言える。産業構造が変化し、高度情報化が進行する中で、我々の周辺社会にあるゲマインシャフト的なものは、徐々にゲゼルシャフト的なものに置き換わって行くのかもしれない。そして、従来、家族や村落(地域)共同体が担っていた役割は、地方自治体や国家が社会制度として代替的役割を果たしていくようになっていったのである。


 しかしその後、公的介護保険法の施行から20年あまりが経過し、高齢化が一層進展する中で、一旦は社会制度化された介護システムの将来像に再び、危険信号が点り始めている。理由のひとつに挙げられるのは、社会保障費の急激な増大である。高齢者人口が増大する一方で、年金財政、保険財政を支える現役世代の人員は減り続けている。医療保険、介護保険のサステナブルな継続に信号が点るのは時間の問題である。実際、すでに地域包括ケアシステムという名の元に、従来、要支援介護者を対象として行われていた日常生活支援事業の一部を、総合事業という名の下に、地域自治内における互助・共助の仕組みに回帰させようという動きも見られている。これは、いわばゲゼルシャフトからゲマインシャフトへの先祖帰りのようにも見える。しかし、社会構造そのものがすでに大きく変節している中で、そうした地域の互助に頼ろうとするシステムの回復、再構築は果たして可能なのだろうか。こうして再び、頼りたいと考えられているゲマインシャフトの回復に光明を見出すことは出来るだろうか?