人は共同体に属する

人間は社会的動物として各種の共同体に属し、社会関係を築きながら生活を営む。一般的に現在の日本社会において、個人が信頼する強固な共同体のひとつが、家族や親族である。個人が、家族や親族と認識する範疇は、人により様々であろうが、かつての農村共同体社会から現在に至るまで、家族、親族がひとつの共同体の基礎単位として、養育や居住、生計の共同化、病気や介護になった場合のケアなどが行われている。家族、親族は現代においても、個人が生活を営む上での重要なシェルターのひとつである
家族は、日本の高度成長期においては、夫は会社で家計収入を得、妻は専業主婦として子供の養育や家計を支える役割を担う、いわゆる専業主婦モデルが主流であった。

これ以外にも、時代の変遷に応じて各種の共同体が存在した。前近代農村社会においては、集落単位での生産や相互扶助が行われる村落(地域)共同体が大きな役割を果たした。近代社会となり、産業化が進行し、都市部への人口移動・集中が進む中で、日本は村落共同体に代わる役割の一部は、会社共同体が果たした。日本が高度経済成長を果たした
1950年代後半以降からバブル経済が崩壊する1990年頃まで会社共同体は、終身雇用制度、利益の社員還元、充実した福利厚生制度など、従業員重視の政策を採用することで、社員の高い企業ロイヤリティを生み出し、会社と社員が一体となり高度経済成長の日本を支えていった。企業家族運動会や社員旅行などが頻繁に行われることで、社員は企業との精神的一体感を深めていったのである。企業経営者側からも共同体としての企業の一体感を深めるアプローチがなされた。例えば、創業者稲森和夫氏が率いる京セラは企業理念として「大家族主義」を掲げていた。

日本の高度経済成長時代において、個人を取り巻く共同体として、こうした家族、会社などのゲマインシャフト共同体が、一見良好な役割を果たしていたように見えたのである。
しかし、一見強固に見えたモデルも、1980年頃から次第に綻びが見え始め、共同体そのものの脆弱化、内実の変化、さらには機能不全となるケースがしばしば見られるようになってきた。

 

共同体(ゲマインシャフト)の揺らぎ

 

  そのひとつが家族(共同体)の存在の揺らぎである。血縁や婚姻を基礎とする家族を共同体として捉えようとすることについての限界は、既に多くの識者の指摘するところである。この動きは、日本が成熟社会を迎えた1980年代からさまざまな形で表出してきた。1990年代における家族社会学の中心主題は、まさに家族の再定義問題が中心となった。

この時代に家族再定義の必要性に迫られたのは、従来一般に考えられていた「居住および生計を共に営む人たちの相互ケア」という家族概念が、実際の家族のありようと齟齬を来す局面がしばしば見られるようになってきたためである。そのひとつの事例が、家族を構成する個々人の孤立や、共に暮らしつつも相互コミュニケーションが不全となる個族化の動きである。こうした動きを見て、上野(2008)は、家族の客観的な定義は、ほぼ崩壊しているとして、むしろ「ひとびとは家族を何と考えるか」というファミリー・アイデンティティ研究の重要性を指摘し、家族の臨界点を明らかにしようとした。[2]

 森田芳光監督による映画『家族ゲーム』(1983)で話題となった、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」さながらに、家族が横一列に並び食事をとるシーンは、まさにこの時代に進んだ家族相互の孤立、コミュニケーションの不全を象徴的に表しているものであった。

 家族類型の構成比において、3世代世帯から核家族へ、さらには単身世帯が最も高い構成比を示すように家族構造が変化し、かつ生涯未婚率の上昇、高齢化が進む中で、今まで家族という共同体がその多くを担っていた居住や生計、ケア(養育・病気・介護)の役割の代替機能を誰が果たすのか、真剣に議論される必要がある。

前近代社会において、家族共同体の機能を補完していたのは村落(地域)共同体であった。しかし、これについても多くの識者によって語られるところであるが、村落的生活様式から都市的生活様式への変化とともに、共同体内における人々の繋がりは、多くの村落(地域)共同体内において希薄化した。

会社共同体についても同様である。終身雇用制が実質上崩壊し、会社と個人の関係が従来の一心同体形のウェットな関係でなく、よりドライな関係に移行していく中で、共同体としての会社の存在は従来よりも薄まっている。社員の福利厚生として会社が提供する独身寮や家族寮、休暇施設としての企業保養所もすでに多くの企業で廃止され、企業運動会や社員旅行を実施する企業も数少なくなった。
これらは日本における共同体としての会社を象徴する制度や行事であったと言えるだろう。

 

社会保障制度の機能低下(ゲゼルシャフトの揺らぎ)

 

こうした動きは、テンニースの語ったゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの動き、共同体社会から市民社会へ移行する動きと重なる動きとも言える。産業構造が変化し、高度情報化が進行する中で、我々の周辺社会にあるゲマインシャフト的なものは、徐々にゲゼルシャフト的なものに置き換わって行くのかもしれない。そして、従来、家族や村落(地域)共同体が担っていた役割は、地方自治体や国家が社会制度として代替的役割を果たしていくようになっていったのである。

 その例のひとつが、家族介護である。かつて親の介護の役割を担っていたのは、主に同居する子供夫婦(とりわけ妻)の役割であった。しかし核家族化が進行し、子供たちのみに親の介護を担わせることが事実上困難となった。そうした動きを受け2000年には公的介護保険法が施行され、介護は共同体内部で解決するべきものではなくなった。公的保険制度の導入により、介護は制度化し、共同体から外部化され、社会化されていった。従来、共同体内(ゲマインシャフト)で処理されていた介護は、社会制度(ゲゼルシャフト)として処理すべき課題として転化されたのである。そして介護は、身内のみならず、介護保険事業者がその役割を担うようになったのである。

 しかしその後、公的介護保険法の施行から20年あまりが経過し、高齢化が一層進展する中で、一旦は社会制度化された介護システムの将来像に再び、危険信号が点り始めるようになってきている。その理由のひとつとして挙げられるのは、社会保障費の急激な増大である。高齢者人口が増大する一方で、年金財政、保険財政を支える現役世代の人員は減り続けている。医療保険、介護保険のサステナブルな継続に信号が点るのは時間の問題であった。実際、すでに地域包括ケアシステムという名の元に、従来、要支援介護者を対象として行われていた日常生活支援事業の一部を、総合事業として、地域自治内における互助・共助の仕組みに回帰させようという動きも見られている。これは、いわばゲゼルシャフトからゲマインシャフトへの再度先祖帰りのようにも見える。しかし、社会構造そのものがすでに大きく変節している中で、そうした地域の互助に頼ろうとするシステムの回復、再構築は果たして可能なのだろうか。こうして再び、頼りたいと考えられているゲマインシャフトの回復に光明を見出すことは出来るだろうか?