コミュナル・リビング(Communal Living)を考える

高齢化・人口減少社会における新しい暮らし方、共同体的な暮らし方(コミュナル・リビング)について、さまざまな視点から考察します

2021年08月

3-2-5.三角エコビレッジSAIHATE

 「三角エコビレッジSAIHATE」は本論で紹介するコミュナルリビングの中で、おそらく最も近年に生まれたものである[1]SAIHATEは、熊本県宇城市、有明海に突き出した宇土半島の中ほどに位置するコミュナルリビングである。ここが誕生したのは、2011年11月11日。同年に起きた東日本大震災を契機にこの地に疎開をしてきた家族などが中心となり生まれた。元々この地には「自然の里」という団体が活動を行っていたが、その地を譲り受けたものだ。

 現在この地では、27名(大人17人、子供10人)がともに生活している。共同生活のコンセプトは、「ルールもリーダーもなく、お好きにどうぞで始まる村づくり」というもので、1960年代のスピリチュアル型コミュナルリビングのそれに近しい。住民はそれぞれに自営の職業を保有しているようで、大工、縫製作家、猟師、家具職人、映像クリエイター、ヨガインストラクターなどの「年齢もスキルもバラバラの個性豊かなクリエイター」で構成されていると言う。ホームページを見る限り、住民の多くは20〜30代の若者が中心のようである。



[1] 三角エコビレッジSAIHATEについては、主にHP http://village.saihate.com/の情報による

 

3-3.日本におけるコミュナルリビングの特徴

以上、大正から現在に至る日本のコミュナルリビングの歴史を辿ってみた。「新しき村」「樺太共同農園」以外のコミュナルリビングの概要については、主に水津彦雄『日本のユートピア』(1971)に依ったが、同書ではこれ以外にも「わらび座(秋田)」「奥部落(沖縄)」「紫陽花邑(奈良)」などのコミュナルリビングが紹介されていた。「わらび座」は、秋田芸術村をベースに活動を続ける劇団として現在も活動を行っているものの、書籍に紹介されていた共同体的性格は現在では失われているようである。奥部落は沖縄本島の北、1905年に設立された国頭村に位置した相互扶助を目的とする最も古い共同売店であり、奥部落の存続は不明であるが同様の形の共同売店は現在も存続している。しかし、本論のテーマである(共同体的)生活は当初から行われていない。

「紫陽花邑」は、1945年に創始者矢追日聖が、天啓を得た独自の宗教観に基づき創設した信仰団体大倭教が、信者とともに始めたコミュナルリビングであった。当初は、農業や軍手製造といった家内工業で生計を維持していたが、その後、地区の社会福祉協議会からの働きかけもあり救護施設の運営を開始。その後は福祉事業を拡大し、1956年に社会福祉法人としての認可も獲得。現在は、大倭教を中心に、各種収益事業(建築設計「大倭殖産株式会社」、印刷事業「大倭印刷株式会社」)と社会福祉事業(救護施設 「須加宮寮」、介護老人福祉施設「特別養護老人ホーム長曽根寮」、障害者支援施設「菅原園」、特定施設入居者生活介護ケアハウス「八重垣園」、特定施設入居者生活介護「ケアハウス 茂毛蕗園」)を現在では展開している。当初は宗教活動を母体とするコミュニティリビングから次第に社会福祉事業に転換するパターンは、先に紹介した心境同人(心境荘苑)と同様である。

 このように見てくると、日本のコミュナルリビングは、大きく3つのタイプに分けて捉えることができる。

 ひとつは、「新しき村」「樺太共生農園」といった欧米の社会改良主義思想、トルストイ運動に影響を受けて開始されたコミュナルリビングであるが、これらは少数派に留まった。

そしてもうひとつは、一燈園、心境同人、ヤマギシ会、紫陽花邑などに共通する動きであるが、新たに宗教を開祖し、信仰を維持していくために共同生活(コミュナルリビング)の道を選択しするというケースであり、新宗教のひとつの動きとして捉えることが可能かもしれない。これら組織に共通する基本姿勢として掲げられていたのが「無所有と共有制」であり、それら実践のために「共同生活」という生活方針が採用された。いずれの施設も寄付や援助に頼らない農業や軽工業による自活生活が基本方針であったことも、共同生活が選択された大きな理由のひとつであったろう。

また、1970年以降に新たに生まれた木の花ファミリーは新宗教というよりは、よりスピリチュアル的な要素を兼ね備えたコミュナルリビングとして捉えることが出来るだろう。三角エコビレッジSAIHATEはスピリチュアル的な要素が見られるものの、おそらく宗教的バックボーンはさほど無く、コ・ハウジングとスピリチュアルの中間的存在と言えるかも知れない。

 そして3つめは、かんかん森やCOCO湘南台に見られるコ・ハウジング型タイプである。かんかん森は、スウェーデンのコハウジングをモデルとして誕生したものであるが、COCO湘南台については、高齢化社会における高齢者の住まいのあり方という日本特有の社会課題意識から生まれたコ・ハウジング・タイプと言えるかもしれない。

加えて、日本のコミュナルリビングに共通する特徴として掲げておきたいのは、社会福祉事業への接近である。心境同人(心境心苑)、紫陽花邑は、ともに宗教法人としての性格を現在も備えつつ、同時に社会福祉法人組織として障がい者、高齢者などの生活支援、就労支援を行う活動を行っている。日本において社会福祉事業が本格的に整備されるようになったのは社会福祉法の制定(昭和26年)以降のことであるが、これら施設はそうした社会福祉事業拡充のための受け皿機能を果たしたと言えるかもしれない。また、ヤマギシ会については、公的社会福祉事業と直接の関連はないものの、ヤマギシ学園など子供教育の実践を通じて、引きこもり児童、問題児童の引き受けを行っており、こうした社会福祉事業とコミュナル・リビングの接近に見られる包摂的性格は、欧米における(個人の)相互に自立を前提とする平等や共同性を重視したコミュナル・リビングとは、多少異なる性格を備えていると言えるかもしれない。こうした福祉活動への接近は1970年以降から現在に至る日本のコミュナルリビングにおいても「共働学舎」などにおいても強く認めることが出来る。

 以上のような形で日本におけるコミュナルリビングの系譜を辿ってみた。このように見てくると欧米におけるコミュナルリビングのタイプとはいささか異なる「ケア型コミュナルリビング」とでも言ってもいいタイプが存在することに気がつく。

 おそらくこのケア型コミュナルリビングのタイプは、欧米では古くから宗教による福祉活動のひとつとして広く行われているものであろう。共働学舎の項で紹介したドイツのベテルなどがその典型的事例である。しかし日本では、そうした活動は寺社や教会の一部では認められるものの、それらの多くは(おそらく)心境同人の動きと同様、社会福祉法人化され公的福祉事業の枠組みに組み込まれていったのではないだろうか。

 しかし、こうした公的社会福祉事業の流れとは別に、共働学舎やCOCO湘南台など障がい者や高齢者に関するコミュナルリビングのタイプが生まれているということは何を意味するだろうか。ここでは、それを既存の福祉事業の枠に囚われない、より自律的な福祉生活のあり方を求めようとする人々の動きであると捉えてみたい。こうした動きが今後日本の中で、継続的に続くか、もしくは拡がる可能性があるのかについては不明であるが、高齢化が進む日本社会の中におけるひとつの可能性であるとも考えられる。

3-2-4.COCO湘南台

COCO湘南台は、神奈川県藤沢市に1999年4月に開設された、10名の高齢者が自立して生活するコミュナル・リビングである。COCOは、地域(Community)と協同(Cooperative)を意味し、テーマ「自立と共生」を表現している。

この施設を開発したのは藤沢市議会議員を24年間務めていた西条節子さん。彼女自身が右足関節に障害をもっていることもあり、活動テーマは主に福祉領域。海外の高齢者施設などを視察する中で、日本の多くの高齢者施設(例えば療養病院)では、高齢者の自立と尊厳が失われていることを実感した。

そこで、自らの手で「第三の人生を元気印で生きられる暮らし方を自分たちの手で開発したい」と考えるに至った。その経緯は、著書『1010色の虹のマーチ 高齢者グループリビングCOCO湘南台』にまとめられている。[1]

関心のある人々に声をかけ、当初16人のメンバーで「バリアフリー高齢者住宅研究会」を開催、マクロ的視点から、介護や医療、福祉との関係の築き方、自立と共生が両立する暮らし方等、さまざまな視点から議論を展開していった。その結果、研究会開始から半年後、基本思想のアウトラインが形作られてきた。

 

①自立と共生の高齢者住宅……ふれあう新しいコミュニティ

②共同運営と分担………………共同出資と運営は自分たちで

③地域と生きる…………………地域のコミュニティとして役立つ

④健康に暮らす…………………地域の保健医療機関とのネットワーク

⑤元気印の発信基地……………新しい暮らし方の発信、実験を進める

 

こうした基本理念に基づき、開発されたのがCOCO湘南台である。自立した人々の共同生活の場と言う視点に基づいた生活の場という視点においては、その精神はコレクティブハウス「かんかん森」と大きく変わるところはない。

個人の占有スペースは適度な快適性が確保できる程度(25.06㎡)とされ。その代わりに食堂、ゲストスペース、コモンスペースを拡充するというのが基本的な考え方である。

一方、これに「高齢者」という視点が加わることで、施設構成と共同生活の内容に差異が生じてくる。具体的に現れてくるのは、かんかん森では個別にあった風呂などの施設は、将来の介護の可能性も考え共用のみとなり、バリアフリー、エレベータ設置がなされると同時に、メンバーの共同運営であった共用部の掃除、朝夕の食事なども外部のワーカーズコレクティブに委託されている。また、近隣の医療関係機関、訪問介護、介護支援センター、老健施設などとネットワーク関係を築くことが重要視されている。

運営組織としてはNPO組織、特定非営利法人COCO湘南による自立型の高齢者コミュナル・リビングが目指されている。

COCO湘南台に加えて、2003年神奈川県海老名市に「COCOありま」、2006年神奈川県藤沢市高倉に「COCOたかくら」が開設された。また居住施設ではなく、近隣高齢者の相談や各種イベントを開設する拠点として、COCO湘南台の隣接地に「COCOみちしるべ」が2008年に開設されている。



[1] 西條節子(2000)10人10色の虹のマーチ 高齢者グループリビング〔COCO湘南台〕生活思想社

3-2-3.コレクティブハウス「かんかん森」

 コレクティブハウス「かんかん森」は2003年に竣工した日本初のコハウジング型コミュナルリビングである。場所は東京都荒川区。JR山手線・京浜東北線「西日暮里駅」から徒歩10分前後の住宅地の一角にある。

最初のコハウジング型コミュナルリビングは1970年にデンマークで生まれたと第3章では紹介したが、ほぼ同時期にスウェーデンのイェテポリにも公共のコレクティブハウスが生まれている。呼称は異なるものの共同生活のコンセプト、実体的内容はほぼ同じである。こうしたスウェーデンでの動きを90年代に女性建築家のグループが導入を検討し始めた。こうした動きに有料老人ホームを経営する株式会社生活科学運営(現長谷工シニアホールディングス)が共鳴し、同社が荒川区に老人ホームを建設する際、その23階にコレクティブハウスを組み込むことを提案し、実現したのが「かんかん森」である。

 一般的に欧米のコハウジングは、住民による共同所有、共同運営が基本原則であるが、「かんかん森」は賃貸型のコハウジングである。「かんかん森」以降、日本にもいくつかのコハウジング型コミュナルリビングが誕生し、また次に紹介するシニア向けコハウジング型コミュナルリビング「COCO湘南台」も同様の賃貸型である。これは日本特有の住宅事情(家屋の価格の高さ)などにも因るのでもあろうが、いまひとつ日本でコハウジング型コミュナルリビングが広がらない理由のひとつとしてはこうした所有の問題も関係しているかもしれない。

 「かんかん森」の概要を簡単に紹介する。住宅戸数は全28戸。部屋タイプは1ルーム(2540)から2DKタイプ(40㎡)まである。コモンスペースとして用意されているのは、リビングダイニングキッチン、ランドリールーム、ゲストルーム、共用洗面室などである。

 居住者同士の運営方針については、居住者組合による年1回の総会と毎月の定例会を通じて協議がなされる。運営を担うための役割としてそれぞれに係とグループが割り当てられる。例えばそれは、ガーデニング、ハウスメンテナンス、コモンミール、対外コミュニケーションなどの役割である。

 運営組織としては、居住者組合「森の風」と居住者有志による株式会社コレクティブハウスが日常の運営活動や入居者の募集活動などを司り、NPOコレクティブハウジング社が活動サポートを行っている。

 NPOコレクティブハウジング社は、当初かんかん森を企画した女性建築家グループを母体として設立されたNPOで、日本におけるコレクティブハウジングな暮らしの啓蒙、普及に努めている。現在、コレクティブハウジング社が関与したコハウジングは、「かんかん森」を始めとして、「コレクティブハウス巣鴨(11戸・2007年)」「コレクティブハウス聖蹟(20戸・2009年)」「コレクティブハウス元総社コモンズ(12戸・2007年)」「コレクティブハウス横浜(10戸・2007年)」「コレクティブハウス大泉学園(13戸・2010年)」「コレクティブハウス本町田(24戸・2020年)」などが開設されている。従来タイプの純粋なコレクティブハウスに加えて、近年では既存施設のコンバージョンも増えてきているようである。例えば、コレクティブハウス横浜はグループリビングをコレクティブハウスに転換したもので、コレクティブハウス元総社コモンズは群馬県住宅供給公社が運営するサ高住、デイサービスとの併設となっている。柔軟なあり方が模索されつつあると言えるかも知れない。

3-2-2.木の花ファミリー

 木の花ファミリーは静岡県富士宮市にあるオルタナティブな生活を志向するコミュニティリビングである。[1]木の花ファミリーのスタートは1994年。愛知県小牧市で内装業を営んでいた“じいじ”が独特な宗教観を持つに至り、実践の場として20名の仲間とともに静岡県富士宮市に移住し、「木の花農園」で共同生活を開始したのが始まりである。思想的にはニューエイジズムに近しいもので、人工世界・自然世界(現象世界)の先にある潜象世界との天然循環を進めることによって人工世界で失われる生命エネルギーを取り戻すことができるという基本思想である。

 具体的な活動内容は、自家農園での農業活動及び生産物の販売がベースとなっている。現在110品目250種類を超える野菜や穀物、米や自然卵、味噌、しょうゆを無農薬農法で生産し、食料はほぼ自給体制であると同時に、ネットなどを通じ農産物の直売も行っている。

当初20名でスタートした活動は、次第に賛同者も増えてくることで、活動領域の幅を広げ、農業以外では、現在、体験型宿泊施設の提供、精神疾患、ひきこもりなどを対象とした自然療法プログラムの提供、飲食カフェやマッサージの提供、教育プログラム「一ヶ月の真学校」の提供などを行っている。

  活動領域も幅の広がりに呼応する形で、2007年に名称を「木の花ファミリー」と改名し、現在はこの地で約100名近いメンバーが共同生活を営んでいる。



[1] 木の花ファミリーについては、主に木の花ファミリーHP https://konohana-family.org/による

 

ギャラリー
  • 1-3.実践型コミュナルリビングの歴史的経緯とその概要
  • 1-2.ユートピア(空想)型コミュナルリビング