今後、単独高齢者世帯の増加に伴い、地域の中で生活に不便をきたしたり、介護を十分に受けられなかったりする、孤立高齢者を救済する必要性が高まってくるのではないか。本ブログはその必要性を十分に認めた上で記事を書いていたのだが、今日たまたま手にした本で、その必要性を認めないという論文を目にしたので、今回はそれを取り上げてみたい。

その論文は、山下晋司編『公共人類学』(東京大学出版会、2014年)の中の一編「高齢者」(佐野(藤田)眞理子氏による論文である。

ちなみに「公共人類学」とは、アカデミーの中に閉じこもりがちな人類学という学問ジャンルが蓄積してきた様々な知見やメソッドを、より広く公共の場で活用していこうという視点に基づくもので、本著作では、文化領域から、医療とケア、公共政策、人権と安全保障など多面的な領域から人類学との接続が試みられている。

「高齢者」で、佐野氏が指摘するのは、一人暮らし高齢者に対する日本と外国(アメリカ)の認識の違いでである。日本の場合はとかく、一人暮らし高齢者の増加は、社会的孤立や孤独死を招き、引いては「無縁社会」をもたらすといったネガティブ文脈で語られる場合が多い。一方、アメリカでは一人暮らしの高齢者は当たり前であり、むしろ自立・独立の象徴として賞賛されるべき存在として認められているという。

佐野がユニバーサルデザインの思想をベースに語るのは、人の持つ能力は、年齢によって変化するが、いつの時代でも、人には活用できる様々な能力が必ずあるはずである。人が、自立して自由に生活していくためには、それぞれのニーズをデザインによって満たしてくれる道具を要求する権利がある。一方で、デザインする側(これは狭義のデザイナーのみならず、公共政策を考えるものもここに含まれる)も、一人一人の高齢者がベストを尽くせるように、制度・政策をデザインする責務があると言う。

その一例として示されるのが彼女が米国ウィスコンシン州の小都市でのフィールドワークを通じて知ったアメリカのシニア・センターとミール・プログラムの事例である。
アメリカのシニア・センターは、ニューヨーク市に1943年に設立されたウィリアム・ハドソン・コミュニティ・センターであるという。その後、シニア・センターは数を増やし、1980年代には1000カ所を超えたという。これは日本でいうと老人クラブに相当するものだろう。日本で老人クラブは1950年に精力的に設置され拡がっていった。日本の老人クラブ活動の主たる内容は、高齢者のための趣味活動、健康増進活動などが主であるが、米国の場合はこれに加え、経済的に困窮している高齢者救済を目的とする社会福祉活動も行われており、その柱となるのが「ミール・プログラム」である。

各地のシニア・センターでは、高齢者が1日1回、栄養の取れた食事が出来るようにミール・プログラムが提供される。食事代は各自払える任意金額が寄付として払われる。食事の提供に関しては、担当職員に加えて高齢者ボランティアがスタッフとして参画している。この点が先ほど述べた高齢者の能力活用の事例として筆者が評価するポイントである。

ミール・プログラムの提供については、元々米国ではキリスト教精神に基づく奉仕精神が流れており、高齢者のみならず生活困窮者にもミール・プログラムが提供されているので、これは高齢者特有ということではないだろう。高齢者による自主運営的な活動参加も日本の老人クラブでも実施されている。その意味で言うと、ここで筆者はミール・プログラムの提供が、高齢者の自立促進につながるとの意見を持っていいるということになるのだが、これはいささか結論は短絡的であるといわざるを得ない。むしろ、ここで注目すべきは、高齢者の自立支援の手段としてのミール・プログラムの提供ではなく、むしろ生活困窮高齢者に対する生活支援としてのミール・プログラムの提供ではないか。

近年、日本でも高齢者の相対的貧困率の上昇が懸念されているが、孤立高齢者を社会に接続する手段としての「食堂」の考え方は重要である。近年、「子ども食堂」が、コミュニティの中において母子家庭の子どもなどを救う手段として注目され拡がっているが、まさにこれの高齢者版こそが今後の日本の中においては必要とされるのではないだろうか。